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ふぅたmama
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鬱のサイン
ちょうど1年前・・。

あれれ何か変だぞ、ちょっと怖くなってきたぞぉ・・、いつもと違うぞ・・。
頭がもうろうとする、冷や汗、息切れ、めまい、動悸・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

まだまだ、4ヶ月の楓太は自分で動くことも出来ず、ただただ泣いている。
このまま私の意識がなくなるわけにはいかない、誰かに連絡せねば!

何とか立ち、必死で携帯に手を伸ばし連絡をしたのは近くに住む親友の母だった。
千葉に来てから、私を我が子同然に見守ってきてくれたかけがえのない存在である人。

が、しかし、駆けつけてくれた時に、私は既に衰弱しきっていた・・。

泣き叫ぶ楓太、抱くことも出来ず、ただ声を聞いているだけ。
小さな小さな我が子がすぐ傍にいるのに近づくことすら出来ないパニック状態・・。
怖い、怖い、怖い・・・・。 自分の身体が徐々に蝕まれていった、あの感覚を忘れやしない。

結局、救急車で病院に運ばれた私でした 。

駆けつけてくれた10年の付合いになる親友の母でさえ動揺を隠し切れない様子。
"パニック障害(PD)" 作の症状でした・・。 予期不安が身体を巡らす、あの恐怖地獄。


きっかけは数年前、ある日突然でした。(※これは、既に以前の棚卸しで書いています。)
運転中に突然、この上ない恐怖感に襲われ、過呼吸状態に・・。


最初は自分自身のことなのに理解に苦しみ戸惑いました。 が、今まで何事も頑張り過ぎたので
少し休め!との 神からの忠告と思い、前向きに捉え過ごしてきました。

とは言っても、健全者から見れば、外傷がない心の病は理解しずらいですよね・・(苦;)

特に私の場合は発作の話を軽いジョーク交じりで誰にでも気軽に話していた分、
正直、パートナーでさえもが、そこまで悲痛な恐怖だとは思えなかったのでしょう・・。


帝王切開での、あまりに残虐でひどい扱いによりPD障害は完全に再発していたのでした。
そして、それまでの間の、不眠、不眠、不眠、不眠、不眠 ・・・・・・・ 数ヶ月ほぼ不眠不休。

それは、過酷なハード育児にありました。

帝王切開で出産した私、横切り(切開方法)で、ズタズタに切り裂かれた細胞の痛みは
それはそれは一言では言い表せぬほどの痛み。 しかも、痛みを抱えたままスパルタ退院。

そんな身体で待っていた我が子の育児は思ってもみないほどのハードな生活でした・・。
振り返れば、生まれてから4ヶ月、お昼寝など一度もしなかった我が子・・。 何故、寝ない?!

新生児は1日を、ほぼ寝て過ごします・・と、育児本。 嘘!嘘!嘘ーーーーーーーーっ!!!
 
24時間のうち、わずか3~4時間の睡眠・・、しかも、それは連続した睡眠ではありません。
1~2時間おきに母乳をあげ、抱っこをしたまま次の授乳時間へ・・ そんな連続でした。
床に寝かせることなど無に等しく、夜な夜な抱っこしたまま朝になることが当たり前の生活・・。
腕の腱鞘炎に始まり、首・肩とカチカチに固まった岩のような身体は激しい頭痛を誘ったのです。

唯一の睡眠時間である夜も、その吐き気さえも襲う激しい頭痛で眠れない日々を過ごす・・。

しかし、もともと社交的な私は外へ出かけたり、お茶べりするのが大好きで、そんな身体で、
同じ辛さなら、楽しい時間を過ごしていた方がマシさっ!どうせ家に居ても寝ないし・・・・・・。 
「楽しい育児」を目指し、毎日のように我が子と共に出かけ、ママ友たちと交流していました。

普通という表現は好きではありませんが、あえて使うとすれば、普通なら出来ないでしょう。
もう無理ーーーーーーー! 助けてーーーーーー! って、SOSを発し、お手上げでしょう・・。

しかし、私の場合は・・。
 「このくらい大丈夫・・」 「楓太のためなら大丈夫・・」 「この子がいれば大丈夫・・」

頑張り過ぎてしまう性格、そして、前向きで、ポジティブで・・ そんな性格が裏目に?!
いや、これは、勘違いであり、大きな間違いだと後から気付くことになるのでした・・・・・。


そして、あの日。

徐々に溜まっていったコップから一気に水が溢れ出すように・・。
ドッカーーーンときてしまった私の発作。 出産の時と全く同じ状況でした・・・・・・・・・・。

あまりの恐怖で手足のしびれに始まり、全身硬直、言語麻痺・・ 正直、死ぬかと思いました。
救急車が病院に到着した時には、自分の名前を言うことすら出来ない状態でしたから・・。

 「死んでしまう・・・・、死んでしまう・・・、楓太を残して死ぬなんて出来ない・・・・・・・・・。」


しばらくして、発作がおさまり、看護婦さんがやってきました。
そして、泣きながら楓太の名前を叫び続ける私にこう言いました。
 「赤ちゃんは大丈夫だから! ゆっくり休んでちょうだい・・。 ママが丈夫じゃないとダメょ!」

けれど、その言葉を受け入れられない私がいたのです。
 「楓太はミルクが飲めないんです・・・・、私がいないと・・、私じゃないとダメなんです・・(涙)」

それまで、完全母乳できた育児・・。 ミルクの練習も何度も何度もしてみました・・。 
しかし、数時間でもミルクは飲むことを拒み続け、怒って、延々と泣き続けるのでした。
それゆえ、歯の治療さえも麻酔をせずに痛みを我慢したくらいですから・・。


そして、ベッドで休んでいる私に別の看護婦さんが来て、育児の話をしました。
今までの不眠のこと、日々の生活のこと・・etc 身体から毒を出すように沢山話をしました。

すると、こう言われてしまったのです。
 「楽しもうとなんてしなくていいのょ!普通でいいじゃない・・。もう、十分頑張ったわょ!」


    ------------ 私はこの言葉にハッとさせられました ------------


今までの人生においても、逆境になると馬力を発揮するタイプだった私は育児でもまるで同じ。

大変だからこそ、その分を楽しんで 「プラスマイナス0」 にして1日を終えたい・・。
そんな気持ちが私を駆り立て、日々の育児を 楽しもう!楽しもう! そうさせていたのでした。
そして、なんでも自分1人で抱え込み、それを表に出すことなく無理して頑張っていたのです。


自分が良くならなきゃ、ゆっくり休まなくっちゃって、あの日教えてもらいました。
その後、私は安定剤を飲み、出産以来 初めて楓太と離れ離れになりました。

その間、パパが楓太が口にしてくれる哺乳瓶を探し、何種ものミルクを試し、
何度も何度も繰り返し、何とか少しずつミルクを飲ませてくれたのです。 これには感謝です。 


しかし、心の底では、里帰り中に私を裏切った彼を信用することが出来ないままでいたのです。
一番近くにいるのに、遠ーく遠ーく 感じられた彼の存在・・。 

この人だけには頼りたくない・・。 こんな人には楓太を任せられない・・。
楓太のパパなのに・・、人生のパートナーだというのに・・。 情けない・・。 苦しい・・。

本当は叫びたいくらいなのに、裏切られたプライドが邪魔して頼れない・・・・・・・・・・。
不眠不休の末、究極の発作に辿り着いた私の心は、別の意味でも苦しくて張り裂けそうでした。

そして、理解・協力を得ることの出来ない 義父母の存在は私をさらに闇に追いやっていく・・。
まるで同じ地球に住んでいるのに、異次元空間から来た 幻の生体 義父母や彼の姉弟たち。


唯一の心の支えは、友人達と他ならぬ実家の家族でした・・。 けれど、、、
心配をかけさせたくない両親への思いから、電話では平然を装っていた私でした・・・・・。


本当は、あの日 身体と心の限界を上回っていたんでしょうね。
そして、今思い返せば、あの時が 心身からの最後のSOSだったんだと思うんです。
それなのに、まだ、平気なふりをして “無理して、頑張って” しまったんです。


それから、2ヵ月後・・・・・・・・・・・・。  ついに、この世の地獄を体験しました。


         そぅ、「鬱」病の中でも、究極の恐怖地獄です。
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ふぅたmama
タフな怪獣育て/~1歳
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thema:うつと暮らす - genre:心と身体


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