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ふぅたmama
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これまでの道・・。 no.9
 ・・・ ついに、親元を離れた千葉での一人暮らしが始まった。

 私の居所が分からないよう、ごくごく親しい人にだけ住所を教え、群馬を去ったのだった。
専門からは目と鼻の先にある、比較的キレイな1DKのアパートが私の住みかになったのだ。

 監獄にいる奴のことが胸から離れないものの、自由を手に入れた爽快感で喜びに満ちていた。
どんな部屋にしよう? カラーは何で揃えようか? 新しい課題が楽しさでいっぱいだった。
真新しい家電や家具、全てが私だけのモノであり、自由に好きな時間に風呂に入れる幸せ。

そんな単純な喜びに溢れかえっていたあの頃が懐かしいなぁぁ・・。

 私の入学した専門は圧倒的に男子が多く、クラスも7~8人の女子しかいなかった。
案外マジメで大人しい子が多く、男勝りな私は男仲間の一部であった。
しかも、「組長」とか呼ばれちゃって、、あれ?人生リセット計画のはずなのに何故?! 笑;

 ま、そんなこんなで専門での生活に慣れていった私だった。
けれど、家に帰るとたった一人・・ そぅ、誰も知らないところに来てしまったのだから・・。
部屋に帰ってもまだ夕方にもならない、夜が長く寂しい気持ちから母に電話する私だった。

 本当は、寂しくて切なくて声を聴きたくてかけた電話なのに、思うように話が出来ない。
そして、平然を装い元気に振舞った。 「どぉ?そっちは? 今日はね、こんなとこをしたよ!」
母はきっと私の寂しさを知っていたのだろう・・。
決まって言うのは 「大丈夫、みーちゃんなら何とかなるから!」 と、私を励ます言葉たち。


この母の大きな愛情と支えによって、どれだけの寂しさを乗り越えてきたことか・・。

 高校時代は、奴の嫉妬から、教習所に行けなかったがゆえに免許がなかった私。
千葉に引越した初めの1年間は、もっぱら、徒歩&チャリでの生活だった。
平地なら何十kmでも行動できる実績はあったが、、 付近はアップダウンの激しい道ばかり。
しかも、急坂を息をきらして上ったと思えば、行き止まり! ありえねぇーー><;
まぁ、そんなこんなでチャリでの大冒険も比較的楽しみながら新たな土地勘を学んでいった。

 数ヶ月が経ち、専門の友人らが家に来たり、、車持ちの友人を使って行動範囲を広げた。
1人でいる寂しさの対処法もある程度身につけた私は、次第に気ままな生活が楽しくなる。

こんなことを知ったら親に申し訳ないが、学校は2番目。一番は友人作りとバイトだった。
(ごめんね、お父さん、お母さん。 でも、ちゃんと卒業できたから許してね・・。)

 見知らぬ土地での初めてのバイトは、エステのテレアポだった。
(ここで 知り合った1人の女性が、私の大切な親友の1人である。面白いょね人生って。)
ノルマが厳しいので、さっさと辞めて次はチェーン店の居酒屋へ。
接客バイト経験もあったので楽しくノリよく働けた。何より 「まかない」 付ってのに惹かれて。笑
(ここでも、たった数回しか一緒に働かなかったのに、今では家族ぐるみの大親友と出会う。)

そして、次は・・ 「水商売」 へ。

 そもそも、学費・家賃を払ってもらっただけで申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいだった私。
せめて、生活費は自分で働いて少しずつ返したい・・ そんな気持ちで始めたバイト。

 いざ・・ と いうときの、「お助けカード」ならぬ 郵便局のカードを母から渡してもらったが、
これを使ったのはほんの数回。 頼ればよかったのにぃ・・って、今は純粋に思うょ・・。

昼間は専門学生、平日の夜は居酒屋でバイト。そして、週末の夜はスーツで出勤。
まぁ、これから先、第2の再スタート人生が始まるわけ。
 続く
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これまでの道・・/心の棚卸
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thema:生き方 - genre:ライフ


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