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ふぅたmama
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これまでの道・・。 no.5
たくましく、そして、寂しさを口に出来ぬまま過ぎた幼少期・・。
それでも、愛情いーっぱいに育てられたと思うのだから、うちの両親は凄い!!!

 母は京都に程近い滋賀県生まれ。「京女」というフレーズのよく似合う芯の強い女性。
だから、私の前で弱音を吐いたりすることはほとんどなかった。
どんな時も、笑顔で、そして、どんなに忙しくても美味しい手料理を食べさせてくれた。
レトルトをチンして食べた記憶は1つもない。愛情を料理で表現してくれていたのだ。

 父は上州の空っ風のような男で、口は悪いし、背は小さいくせに態度はLLだ。
けれど、生まれも育ちも群馬なので、友人や知人が多く、外ではオチャメな一面も。
しかし、内面が最悪だ!! 
 私は幼心にいつも怒鳴られている母の姿を見てきている。どうしてそんなに怒るの??
泣きながら、離ればなれになった息子の写真を見ている姿を何度も目にした。
 それでも、父は母無しではいられない。ただ、愛情が上手く表現できないだけ。
外では「うちの母ちゃんの作る○○は最高だでぇ!!」 と、自慢ばかり。
このままだと、いつか母がいなくなってしまうかもしれないと何度も流した涙。
だから、父の「外での妻の自慢話」をこっそり母に伝えるのが私の務めだった。
 いやぁー、泣かせるイイ娘だったなぁ。

 これは余談だが、、母の両親は既に他界している。
幼い頃に父を亡くし、養子に出され「実母」と「育ての母」がいた。
その母たちに父は結婚する際にこう言ったというから驚いた!!
 「大切に床の間に飾っておきます」 ----おぃおぃ、、今じゃこんなに働かせておいてさぁ。

そんな幼少期は、楽しくて切なくもあり、甘酸っぱい思い出ばかり。

外で遊ぶのが大好きで、鬼ごっこや泥警、ゴム跳びにかくれんぼ、、、etc
小学校から帰ってくればランドセルを置き、すぐに外に出るのが習慣だった。
特に得意だったのが、「土粘土でどれだけ硬い玉を作れるか」、それと「テトラポット渡り」
利根川の河川敷にはテトラポットが山のようにあった。そこをピョンピョンと渡るのだ・・。
ま、幸い今こうして生きているが一度調子をこいて川に落ちて流された恐怖も味わった。

 小学校を卒業する時に通知表に書かれた言葉
「よく遊び、よく食べ、良く学び」 良い子の見本のような子でした!! あらまぁ。

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これまでの道・・/心の棚卸
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thema:生き方 - genre:ライフ


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